ダイレクトマーケティング研究所長 柿尾 正之の ダイレクト
マーケティング抄
50 ダイレクトマーケティング研究所長 柿尾 正之の ダイレクトマーケティング抄 50

柿尾正之【かきお・まさゆき】

マーケティング会社にて小売業・外食産業等のリサーチ・コンサルティング業務に従事。1986年04月、公益社団法人日本通信販売協会(所管:経済産業省)に入局。おもに調査、研修業務を担当。主任研究員、主幹研究員を経て、理事・主幹研究員。2016年06月、退任。現在、企業顧問、社外取締役。駒沢大学GМS学部講師(非常勤)。日本ダイレクトマーケティング学会理事。著書に「通販~不況知らずの業界研究~」(共著:新潮社)等多数

第1回
2016年09月5日

今月からコラムを担当させて頂きます、柿尾です。第1回はご挨拶がわりと言ってはなんですが、私の素性をからめて書かせて頂きます。

私は30年ほど前の1986年4月に日本通信販売協会(JADMA)に入局しました。当時、ある大手のシンクタンクに入りかけた私の考えを変えたのはご指導して頂いていた大学の先生から投げかけられた「日本ではまだまだ通信販売はニッチだけど、米国では非常に注目されている業界だから、必ず日本でも伸びていく」という言葉でした。と書くと、かっこいいかと思われますが、本音では大手のシンクタンクに入ってもよっぽど実力がなければ歯車のひとつで、これからの業界、さらには小さいところに入ればチャンスがあるのではないか、という野心もあったようにおもいます。

しかし、実際、入局することを決めたことを報告した家族からは「通信販売って、大丈夫なの?」「食べていけるの?」というようなことを言われました。さらに、入局してしばらくしてから、当時の事務局のトップからは「柿尾さん、この業界はまだ、『士農工商・通信販売』なんだよ。どうやって地位向上を図っていくかがポイントなんだ」とも言われました。つまり商(一般的な店舗)の下に位置するということです。

事実、当時の通信販売業界は、百貨店、メディア、レコード産業といったメジャーな企業がおこなう通信販売が業界をリードしており、通信販売そのものが信用されているのではなく、企業ブランドに頼った様相を示していました。産業として確立させていくためには、専業企業が中心となって通信販売そのものの地位を確立させていくことがまさに目標となったのです。

大変な時期でしたが、いま思えば目標がはっきりしていることほど、幸せなことはないとおもいます。現在の通信販売、ダイレクトマーケティングの隆盛を見るにつけ懐かしくおもうとともに、今でも初心忘れるべからずということを肝に銘じています。